サイドデスクの脇にある出窓から縄梯子で下りるべきか、散歩を装って堂々と正面玄関から出るべきか。
前者はタイミングがものを言い、後者は権威を振りかざし門番を言いくるめられるかどうがか鍵となり、結局どちらも運次第だ。
勝率は五分五分といったところだろうか。
もしくは別の手を、と次の手段へ頭を切り替えるべく、毎度同じ悩みに付き合わされくたくたになったクッションを抱えながらベッドに腰をかけて静かに唸ったところでの思考は中断される。
「お嬢様、旦那様がお呼びです。」
扉の向こう側から使用人の声が聞こえると慌てて身支度を整える。
「今行くわ。」
あくまで平然を装いワントーン上げて返事をする。
しかし内心では、企みが父に知られてしまったのでは、と焦る気持ちが心臓をうるさく叩く。
これまで幾度も家を抜け出しては父を困らせ、使用人らを疲労の渦に巻き込んできた。
罪悪感を覚えながらも外の世界、否、夜の世界への興味や憧れは薄れることなく、むしろ日に日に増すばかりで、あの手この手の手段と口八丁で周囲の目をごまかす日々が続いている。
今日の計画は断念した方がよさそうだ。
そう渋々諦めながらクッションを横に置き、名残惜しいとでも言うように部屋を出る。
扉が閉まる直前に何気なく目を向けた窓の向こうでは三日月がぼんやりと光を放っていた。
---綺麗な月。いいことが起こる前兆かもしれない。
期待を込めて三日月に目配せをすれば不思議と心が軽くなり、つられて階段を降りる足取りもリズミカルになる。
鼻歌まで添えてみると、前を行く使用人が「いかがされましたか?」と振り返った。
微笑みながら「いいえ、なんでもないの。」と告げれば、「左様ですか。」と頷きまた歩き出す。
大広間の前へ着くといつものように使用人が扉を開き、軽く会釈をしてその横を通る。
「お待たせしました、お父様。」
ワンピースの裾をつまみぺこりとお辞儀をして顔を上げれば、父の姿と見覚えのない男性の姿が目に入る。
父と並んでもなお頭が出るほどの長身、すらりと伸びた手足に、整った顔、それから、左右異なる目の色。
---オッドアイというものね。
見慣れぬそれに戸惑いを覚えながらも微笑み会釈をする。
相手もまた同じように笑みを返すが、その瞬間なぜだか背筋が凍るような感覚に襲われた。
「さあ、、紹介しよう。彼は六道 骸くん。今日から君の専属執事だよ。」
「専属・・・?」
「何、驚くことはない。が退屈しているのは知っている。話し相手がいればそれも薄らぐだろう?」
にこにこと笑みを浮かべながらそう説明する父の言葉をは額面通りに受け取ることはしなかった。
---話し相手?冗談じゃないわ!体の良い監視役以外の何者でもないじゃない!
しかし立場上それをそのまま声に出すわけにもいかず、また日頃から父親が自分の身の振りを案じていることも十分に理解していたは「まあ、ありがとうお父様。」とこれ以上ない作り笑顔を盛大に貼り付けて感嘆を述べた。
「お嬢様、本日より貴女の全てを僕にお任せください。」
「六道さん、だったかしら?よろしくお願いしますね。」
敢えて名前を確認することで興味がないことを暗に訴えてみせたがまるで手応えはない。
先ほどと少しも変わらぬ笑みを浮かべて恭しくお辞儀をされてしまい、は心の中でひっそりと溜め息をつくほかなかった。
チラリと盗み見た父からは安堵の表情がありありと見て取れる。
「彼は非常に優秀でね、私が信頼している機関のお墨付きだよ。きっと君の期待に応えてくれるに違いない。六道くん、娘をよろしく頼む。」
まるで縁談を取り纏める仲人のように両者を交互に見比べると、「さて、私は部屋に戻らせてもらうよ。おやすみ。」との頬にキスをした。
も「おやすみなさい、お父様。」と父の頬に口付ける。
幼い頃から当たり前にそうしてきた習慣だったが、見知らぬ人、それも異性の前だからか、はどことなく恥ずかしくなった。
「専属というからには私のことを知っていただかないとね。部屋へ案内しますわ。」
恥ずかしさを振り払うように形式的な笑みを浮かべて骸を誘導する。
おそらくここまでの段階で一通りの話は聞いているのだろう、と推測しながらも、防御壁を張るなら早いほうがいいと直感が働いたは自分のペースに引き込もうとしたのだ。
「屋敷内の案内は済んでいるの?」
「ええ。日中に旦那様から伺いました。お嬢様の寝室についても同様に。庭に面しているようで、さぞかし良い眺めでしょうね。」
きっと彼は「逃げ道は把握済みだ」と言いたいのだろう。
そう察したは一瞬自身の表情が固まるのを感じながら「そうね。お父様が私のために整えてくれたの。あまり足を踏み入れることはないけど。」と語尾に若干の強さを加えて応えた。
「どうぞ。お見せするようなものは何もないから恥ずかしいけど。」
「失礼します。なるほど、あちらの出窓と仲良くしているようですね。」
ぐるりと室内を見回したあと例の出窓をしっかりと指した。
庭に面する窓は他にもあるにも関わらず、迷わず一つを見定め確信を持って問うたのがには分かった。
先ほどまでの柔らかな表情を浮かべる青年は、きっとここにはいない。
「驚かれましたか?簡単なことです。
あちらの窓は広く開閉するに容易いですが夜は少々目立ちますね。その隣はどうでしょう、いくら女性とは言え大人一人が通るには小さすぎます。バルコニーは出るにも仕掛けをするにも打って付けでしょうが隣室から見える可能性が高い。
残るは、あの出窓だというわけです。カムフラージュのように置かれた植物やぬいぐるみも動かすには造作ないでしょうし。」
取扱説明書を読み上げるような口調で淡々と、そしてゆっくりと根拠を述べる。
驚くなと言うほうが無理だ。
はぽかんと開いてしまった口を押さえるのがやっとで、まさに返す言葉が見つからなかった。
「あなたは、探偵か何か?」
「クフフ、僕が探偵?それは面白い。ですが残念ながら資産家令嬢のしがない執事ですよ、お嬢様。僕が来たからには夜遊びは控えていただきたい。」
「夜遊びとは失礼ね。社会勉強と言ってもらいたいものね。」
一目で見抜かれたことへの焦り、そして何より「夜遊び」と揶揄されたことへの苛立ちが、思わず口調を強める。
「お父様や周囲の人間を困らせることが社会勉強とでも?」
「どう言ってもあなたにはわからないでしょうが、こんな生活を続けてごらんなさい。私でなくても逃げ出したくなるものよ。」
「理解に苦しみますが、批判はしません。僕はあなたと違って大人ですから。しかしこれだけは言っておきましょう。命が惜しければおやめなさい。」
怒りで頬が紅潮していくのを感じた。
まるで、まるで別人だ。
大広間で父と握手を交わしていたあの顔は、主君に従う兵隊に違いなかったが今は違う。
自身の仕えるべき対象を目の前にしながら、今すぐクビだと命じられても何らおかしくないような発言を躊躇わずにぶつけてくる。
気に入らないから辞めさせてくれと父に言えば、すぐにでも実行に移されるだろう。
しかし、言い換えればそれは負けを認めたことになる。
「危険を承知で繰り返してるの。あなたに指図される筋合いありません。」
---おやおや、気の強いお嬢様ですね。これは手がかかりそうだ。
睨みつけるような視線を受け流しながら、やれやれとばかりに骸は溜め息をつく。
半ば無理矢理に課せられた任務ではあったが、退屈しのぎになりそうだと目を細めながら口元が緩むのを抑えることはしなかった。
---本業の傍ら、お子様のお遊びに付き合うのも悪くありませんね。
そう、「資産家令嬢の執事」などはもちろん骸の真の役目ではない。
話は数週間前に遡る。
ボンゴレ幹部、守護者らが集まる会議の席に骸はいた。
普段は代理を立てる雲雀同様に欠席することもしばしばあるが、その日は珍しく開始10分前から着席していたのだ。
理由は単純だ。ここ最近、獄寺が調査をしている件に興味を持っていたからに他ない。
何についてどのように調査をしているかなど、手にとるように分かっていた。だからこそ、どう対処するつもりか興味があった。
次の会議はその話題が出るだろうと予想した骸は興味本位で会議出席を決めていた。
そして、骸の予感は当たり、獄寺はその場に集った面々の様子を窺いながら口を切った。
「みんな知ってのとおり、国内の富裕層は大抵マフィアと通じている。しかしそんな中、どことの繋がりも見えない資産家がいてな、そいつを調査してみた。」
「確か、日本人だったよね?」
「そうです。名前は 丈二。夫人…既に死別していますが…の実家が元貴族で、その財産を全て相続し巨額な富を得ています。」
「そいつがなんだってんだ?悪いことしてんのか?」
真剣そのものといった顔つきの獄寺に、何やら不安げな綱吉、そして相変わらず緊張感のない山本。綱吉の隣ではリボーンが無言でただ話に耳を傾けている。
「それをこれから説明するんだろうが。・・・続けます。」
山本へは睨みを利かせながら、綱吉へ視線を戻すと表情が引き締まる。
昔から何一つ変わらない構図だ。
「氏は市民の人望も厚く、黒い噂ひとつ聞かないが、それがどうも怪しい。ヤツがいるのはナポリだ。あの街に腰を据えていながら、どのマフィアとも繋がりがないのは不自然だ。」
「それ以上の情報はないのか?」
腕を組み黙ったままだったリボーンが口を開く。
獄寺の言うことにも一理あるが、あくまで全て推測に過ぎない。
「今回の調査では、これが限界でした。」
「なるほどな。推測に頼るのは危険だが用心するに越したことはねぇな。で、これからどうする?」
「多少のリスクは伴いますが、潜入調査が確実かと。
氏にはという娘がいます。昨年まで専属の付き人がいたそうですが高齢で引退し、後任者は現在いません。そこで、執事として潜り込み、情報を引き出すのはどうでしょう?」
「資産家令嬢の執事だぞ。そんな簡単に入り込めるのか?」
「氏が懇意にしている機関はどうにか調べがつきました。あとは、裏から手を回せば片付くかと。」
「ちょ、ちょっと待ってよ。潜入調査なんて、顔を晒しに行くようなものだろ?危険すぎるよ!」
獄寺とリボーンのやり取りを会議に出席していた誰もが頷きながら見守っていたが、決定する方向で話が進むと綱吉が立ち上がり中断する。
誰かが止めるとすれば彼しかいないだろう、と骸は悟っていたため驚くことはなかったが、獄寺はばつが悪そうだ。
「じゃあやめるか?敵対するマフィアと裏で繋がっていて、いつオレ達を狙っているかわからない。それでも構わないとツナは言うんだな?」
「そうじゃないだろ?!他にも方法があるって言ってるんだよ!」
「どんな方法だ?獄寺が出来る限りの手は尽くしてこの結果だ。他に何があるっていうんだ?」
「そ、それは、」
答えは明白だった。
これだけ大きな資産を持ちながら、この国で、それも単独で、生きていられるわけがない。
どこかしらと繋がっているのは想像するに容易い。
「顔が割れるのをツナが心配してるなら、適任者は骸しかいねぇな。」
事の成り行きを黙って見守っていたところへ自分の名が不意に挙がり、骸は思わず顔を顰めた。
「何者かに憑依して潜入しろ、と?」
「いや、違ぇ。骸、お前自身が"六道骸"として潜入するんだ。」
「馬鹿らしくて溜め息も出ませんね。沢田綱吉が先程言ったように、みすみす顔を晒すなど愚かにも程があります。調査が終われば幻術で記憶を操作しろ、とでも言いたいのであれば、僕である必要がありません。術士ならいくらでもいるでしょう。」
「憑依した所で向こうに優秀な術士がいればバレちまうぞ。その時点でこの件はボンゴレの敗北を意味する。骸の言うとおり、術士なら他にもいる。だが今回は執事として潜りこまなきゃならねぇんだ。それなりの教養、品性を兼ね備えている術士が他にいるか?」
教養と品性を兼ね備えているなどと言われて悪い気はしないが、そう易々と口車に乗せられるのはあまりに癪だ。しかし、骸とてこの任務の難易度がいかに高いかを理解している。
「潜入開始までに教育すればいいだけの話でしょう。やはり、僕である必然性がない。」
「短期間の教育程度を見破れない男なら、現時点でもっと情報が集まっていると思うぞ。」
「・・・骸、お願いできないかな?」
リボーンに肘を突かれ慌てて頭を下げる綱吉を見ながら、骸は思考を働かせる。
他の術士が自身の足元にも及ばないと自負しているし、正直、顔が割れた所で今さら何が困ることもない。危ういと感じれば殺してしまえば済む。そして何より、ここで綱吉らに貸しを作っておけば今後有利に動ける。
骸にとってこの任務はデメリットより遥かにメリットの方が多かった。ならばこれも悪くないと判断した骸は、渋々といった風に頷いた。
「いいでしょう、引き受けます。ただし条件があります。連絡は僕からのみ。そちらからの干渉は一切控えていただきたい。よろしいですね?」
「わ、わかった。よろしく頼むよ、骸。」
その後、骸が何をしなくても準備は着々と進み、書類審査や面接を介して潜入に成功した。
書類審査といっても形式上の手続きのみで、実際に審査が行なわれたわけではない。
全てボンゴレの圧力によって、当然のように通過されていくだけだった。
それは綱吉が好まない方法ではあったが、リボーンの叱咤または獄寺の説得に半ば丸め込まれる形で承諾することになった。
---マフィア。相変わらず、腐敗した社会そのものを表している。
しかし自身がそこに属しているのも事実で、不本意ながら「幹部」という立場に変わりはなかった。
人を殺めることに抵抗を感じることは一切なく、命の尊さなどを唱える方が愚かだと思っている骸だが、自分の置かれている現状が何より馬鹿らしいとも感じていた。
---面白味のない仕事ですね。一般人の粗探しをして何が楽しいのかまるで理解できない。
任務に当たるまでは、否、のこの目を見るまで、骸は何度も頭の中でそう繰り返していた。
「お嬢様の気分を害したようなら謝ります。しかしご自身の立場はわきまえるべきです。」
「ええ、ええ、もうわかったから、一つだけ言わせて。その呼び方はやめていただける?」
「と、申しますと?」
「あなたにお嬢様だなんて呼ばれるの、なんだか気味が悪いの。でよくてよ。」
わざとらしく古めかしい貴族言葉で調子を変えると、まるで和平条約を求めるような視線が骸に向けられる。
ただ気が強いだけではないようだ、と納得してしまえばそれはペンを取ったも同じだった。
「さん、とお呼びしても?」
「結構ね。」
どことなく幼さが残る笑みは生意気そうにも見えるが、これで無事に条約は結ばれたことになる。
その表情からの心情をしっかりと読み取りながら骸はまるで新しい玩具を手に入れたような気分だった。
そしても、完全に心を許したわけではなかったが、悪い人間ではなさそうだ、と直感的に判断していた。
「あなた、」
「失礼ですが、僕にも名前がありましてね。覚えてらっしゃいますか?」
「六道さん。」
「まあ、いいでしょう。」
「食事は済んでるの?よかったら、ご一緒にどう?」
「では、お言葉に甘えて。」
友好の証にと食事に誘ってみたが、数分後、はそれを後悔することになる。
「横に退けているのはなんですか?」
「見てわからないの?グリーンピースよ。」
「なぜ残すのでしょう?」
「分かっていて聞いているの?嫌味な人。」
「好き嫌いはいけませんね。だから、あのような安易な発想しか浮かばない。おまけに女性なら育つべき部分があまりに貧相ですから、これもその影響でしょう。」
嫌味な笑顔と包み隠さず毒を含ませた言葉に、は握っていたフォークとナイフを置いて思わず立ち上がる。
自らを賢いとは言わないし昔から勉学に関しては不得手ではあったが、体型について今ここで、しかも今日初めて会った異性から指摘されるとは思いもしなかった。
20歳を迎えた今でも成長が思わしくない胸元はコンプレックスでもある。
食事の席だということも忘れては、今にも飛び掛りそうな勢いで骸に詰め寄るが、頭に血が上って言葉が出てこない。
「落ち着きなさい。この程度の売り言葉にいちいち反応していてどうするんです?大人の女性なら軽く受け流せますがね。」
「何が言いたいの?」
「わかりませんか?子供だと言っているんです。」
先ほど交わした条約はどこへやら。
紙切れ1枚のそれは骸の放った言葉ひとつで、いとも簡単に破り去られてしまった。
---いつか絶対に言い負かしてやる!
十数年振りに口にしたグリーンピースを涙目で飲み込みながら、は切なる誓いを立てる。
対して、その様子を眺めながらクフフと笑みを漏らしワインを口にする骸は愉快で仕方がない、といった顔をしていた。